2025年度 合格実績
(テスト生・季節講習生は含みません)



僕は4年生の頃に全教研に入塾しました。一応何となく附設中を受験しようという思いで入塾したのですが、附設中に合格するのがどれほど大変なのか、というか受験というものすらよく分かっておらず、ろくに宿題もしていませんでした。親も含めて塾があることすら忘れて、行かないなんてこともしばしばありました。危機感も全くなかったのですが、母の叱咤激励のおかげで少しだけ勉強時間を増やすことができ、ギリギリZクラスに入ることができました。ですが、成績はあまり良いとは言えませんでした。そのままの勉強量で5年生の中盤まで進み、成績もそのままで、偏差値は50台のことが多かったように思います。そんなときに周りの友達の勉強量や成績を知り、流石にこのままではまずいと思いました。正直、宿題以外に勉強が必要だなんて思ってもいませんでした。親の勧めもあり、まずは1週間の予定表を紙に書いて、何時から何時まで勉強をすることを、きっちりとするようにしました。また、その頃から一貫して受験当日まで続けていたことは、22時までには寝るということです。僕は睡眠時間が足りないとすぐにきつくなるので、なるべく睡眠を取るように心がけていました。そのおかげか、授業中に眠くなったりすることはほとんどなく、集中して取り組むことができ、その日のうちに吸収することができたような気がします。そして6年生になるまでには徐々に成績は上がり始め、まあまあのところで安定するようになりました。6年生の後半には成績の足を引っ張っていた苦手教科の社会を克服するために、毎晩社会の見直しを15分程度行っていたおかげで、秋頃には順位が一桁台に入るようになりました。入試のときは、得意教科である算数で最初の計算問題を間違えたことを知り、とても焦りましたが、先生が「入試の時に一喜一憂しない」と仰っていたのを思い出し、なんとか心を落ち着かせてその後の社会、理科を受けることができました。 正直言うと、受験勉強を楽しいとまで思えなかったのですが、今までやってきたことが結果に繋がって、点数や順位が上がったことは嬉しかったですし、友達と競い合って頑張った日々はこれからも忘れられない経験になりました。
私は、小学5年生の10月から、最初は個別指導で算数だけを教わっていました。そして2月からは集団指導コースに通い始めました。私は第一志望である西南学院中学校がずっとD判定で不安でいっぱいでした。それでも合格することができた要因は、まず、秋季オンライン学習合宿で弱点強化の理科を克服できたことだと思います。オンラインという環境で一日中苦手な勉強をしたことで長時間の勉強にも慣れたし、何より、ずっとモヤモヤして分からなかったことを理解することができました。そして、受験本番一か月前くらいからは西南中の過去問を解きまくりました。母が私の間違えた問題をプリントでまとめてくれて、それをできるようになるまで何度も何度もやり直しました。その結果、分からないという状態をなくすことができました。受験本番の朝は寒い中、クラスの友達に一言ずつメッセージを書いてもらったファイナルチェックや、全教研の先生にもらった応援メッセージを見て自信をもらいました。私はこの中学受験を通して自分の実力が上がったこともそうですが、友達と遊ぶのを我慢したり、最後の最後まであきらめずに頑張ったことが、とても今後の力になると思います。そして、やはり私がここまで頑張れたのは、周りの人の支えです。朝から弁当を作ってくれたり、勉強を手伝ってくれたお母さん、私が勉強に集中するために妹を連れ出したり、歴史を教えてくれたお父さん、みんなで励まし合って頑張った全教研のクラスの友達、いっぱい応援してくれて合格した時に一緒に喜んでくれた学校の友達や学校の先生、そして何よりも勉強を教えてくれるだけではなく、試験会場に激励に来てくれたり、心配して電話をかけてくれたりとほかにもたくさんお世話になった全教研の先生方。たくさんの支えがあったからこそ私は合格できました。本当にありがとうございました。これからはここをゴールだと思わずスタートだと思って、もっと頑張ります。
第一志望の福教大附属久留米中学校の合格発表の日、自分の受験番号を見た瞬間、嬉しさと安心で涙があふれてきました。私が塾に通い始めたのは、小学四年生の時でした。この頃の私は「塾に行き、テストを受けて結果を見る」の繰り返しで、テスト範囲の復習はあまりしておらず、テスト勉強の仕方も分からなかったので、成績に波がありました。五年生になったとき、「このままでは成績が上がらない」と思い、習ったことの復習やテスト勉強を必死に頑張りました。すると、少しずつ成績が上がっていきました。また、中学受験に向けて一緒に頑張る仲間が増えてきて、心強く感じました。六年生になると内容が少しずつ難しくなり、分からない問題が増えてきました。その時は、自分が理解するまで先生や父に質問をしました。それから、塾がない日でも、塾まで母に送り迎えをしてもらい、過去問やテキストのやり直しを徹底的にするようにしました。さらに合宿に行って、集中力と精神力を鍛えるためにたくさんの問題と向き合いました。二学期ごろ、私は国語の成績が伸び悩んでいて、テスト結果を見て泣いてしまったり、「もう無理だ」と弱音を吐いたりすることもありました。けれど、くじけずに先生から教えてもらったことを活かして問題を解くと、解き方のコツをつかんできました。そうして入試の前日まで気を抜かず、一生懸命見直しをしました。入試当日も焦らず、最後まで全力で問題を解きました。そして附属中に合格することができました。たくさんの先生や家族の支えがあったおかげで、私は受験した三校すべてに合格することができ、大きく成長することができました。中学校では、勉強や部活を頑張って笑顔で過ごしたいです。三年間支え、見守ってくれて本当にありがとうございました。
私には、憧れている習い事の先輩がいます。その先輩の通う学校に行きたくて、受験勉強を始めました。四年生から夏期講習や冬期講習に行き始め、五年生から受験クラスの通常授業を受けるようになりました。正直、四・五年生の時は、真面目に授業を受けてなくて、みんなより遅れ気味でやる気もありませんでした。でも、六年生になり、先生が変わったり、受験まで一年を切ったりしたことから、頑張ろうという気持ちになっていきました。六年生では、春期講習や夏期合宿に参加し、自分と同じレベルくらいの子たちと一緒に勉強をしました。自分とレベルが近いことから、自然とモチベーションが上がり、追いつきたい、差をつけたいと思うようになりました。九月からは日曜特訓が加わり、塾に通う日が増え、より休める日が少なくなりました。十二月になり、受験まであと一ヶ月となると、社会でファイナルチェックのテストが始まり、ステージを終わらせないと受験も終われないという謎の先生からの圧を感じました。先生は「入試で出るかもよ」と言っているけれど、私は「ほんとか?」と思いながら、ファイナルチェックを進めていきました。いよいよ、入試が始まり、受験校の問題を解いていく度に、ファイナルチェックの内容が出てきて、先生の言っていたことは嘘ではなかったんだと思いました。そんな先生の支えや家族、友達の応援もあったからこそ、私は無事に第一志望校に合格することができました。成績が伸びなくて苦しんだことや、休みたいけど頑張らないといけない時など、辛くて、受験を諦めたいなと思ったことは何度もありました。でも、私は辛いことを乗り越えて、最後まで頑張ってきて良かったなと、今、思っています。全教研で中学受験を経験したことを後悔してないし、良かったと感じています。
僕の高校受験を変えたのは1枚のプリントでした。そのプリントには難関高校の数学の問題が載っていました。中1の僕はそれが全く解けませんでした。そこで僕は自分の未熟さを痛感しました。しかし、それと同時に自分がまだ知らない世界を発見したのです!そして僕はそんな世界に飛び込んでみたいと思い、中2からZクラスに入り、附設を志しました。Zの難しさに衝撃を受けた僕は必死に勉強しました。そして中3の5月に初めて附設A判定を取ることができました。しかし、そのまま順調に合格!とはいきませんでした。A判定に油断し、勉強をあまりしなくなってしまったのです。そのまま時が過ぎていき、9月に転機が訪れます。なんとラ附模試の国語で29点、附設C判定を取ってしまったのです。そこで自分がピンチであることに気づきました。その時点で9月で時間はありませんでしたが、先生の「本気は時間を超越する」という言葉を信じ、そこからがむしゃらに勉強しました。11月の時点ではまだ合格点に30点も届いておらず、さらに不安が募りました。そんな押し寄せる不安をなくすためには勉強するしかありませんでした。直前期には「できることはやった!」と自分に言い聞かせ、根拠なき自信を手に入れました。入試当日もその自信と一緒に附設の校門をくぐりました。いよいよ附設合格発表の日。緊張しすぎて全毛穴から変な汗をかいていました。そんな中で結果を見る。「合格おめでとうございます」。努力が報われました。喜びで胸がいっぱいになりました。しかしここで油断はできませんでした。灘が控えていたからです。灘なんて雲の上の存在だとずっと思っていました。しかし過去問を解くと今までの勉強で何とか戦えることが判明し、がむしゃらに勉強しました。遂に灘入試当日。灘の校舎の前に立っている自分が信じられませんでした。そして来たる灘合格発表。固唾をのみながらホームページを開く。数字が載っている。自分の受験番号を探す。「あった!」あの瞬間は忘れません。全ての努力が報われました。喜びや安堵、感動といった色んな感情が一気に押し寄せてきました。僕はこの受験で大きく成長することができました!本気で勉強と向き合ったことで自分を知ることもできました。毎日を支えてくれた家族、僕を合格に導いてくれた先生方に心から感謝します。そしてこれから受験に挑んでいく人達は、最後まで諦めないでください。そうすれば良い結果が待っているはずです。応援しています。
私は中学校2年生の春に全教研に入塾しました。そして春期講習を通して周りの生徒の頭の良さと、自分の力の至らなさを痛感しました。講座生となって授業を受けていくにつれて、中学校の学習を先取りして分かるようにはなってきたけれど、塾の学習にはあまりついていけず、初めての公開テストでD判定を取ったときは絶望でした。中3になって、そろそろやばいと感じ、夏休みから勉強を開始しました。だんだんと成績が伸び、模試などでA判定が取れるようになりました。しかし、直前の1月の模試で成績が下がってしまい、みんなに追いつくために様々な教科を幅広く、たくさんの勉強をしました。そして入試当日、1時間目は手が震えましたが、何とか合格を掴むことができました。自分は始めるのが遅かった分、とにかく量を重ねて勉強しました。その中で辛いときもあったけれど、周りの家族や全教研の先生方の支えがあって、それを乗り越えることができました。本当に2年間いろいろなサポートをしていただきありがとうございました。
私が全教研に通い始めたのは、小学六年生の頃でした。その頃は、具体的な志望校も考えておらず、ただなんとなく得意な教科を楽しみに勉強していました。中学生になり、部活動や学校生活を通して高校進学の話をよく耳にするようになり、自分の志望校を福岡高校と明確に定めました。しかし、野球部に所属していたため、平日の塾の授業に遅れることや、土日が試合で潰れ、ペンを握らないことも多くありました。そのため、苦手教科だった国語が公開テストや定期テストで足を引っ張るようになり、点数がなかなか伸びなくなりました。今となっては、隙間時間を使って、演習をすれば良かったと後悔しています。そんな中、国語の点数を定期テストや公立入試でとれるようにしてくださったのは塾の国語の先生でした。先生は授業中よく発表させてくださったり、質問にはそれに対する答えだけでなく、付随する知識や考え方を教えてくださったりしました。それらを積み重ねていった結果、公立高校の問題だけでなく、青雲高校の問題も解けるようになりました。私は青雲高校、九産大付属九州高校、福岡高校と三回の受験をしました。三校の入試問題に難易度の大きな差がありましたが、自分が徹底すると決めた、「自分が一番頭がいいと思いながら自信を持って解くこと」、「ケアレスミスは一つ以内に抑えること」、「記述は部分点だけは死守すること」をしっかりと意識して臨んだ結果、三校とも合格を勝ち取ることができました。私は、誰よりも努力したと胸を張って言うことはできませんが、日々の授業から自分なりに解釈し、自分なりに覚え、自分なりの受験に対する考えを持つことで、誰よりも自信を持って入試に臨めたと思っています。もちろん知識や思考力も大切ですが、数点差の勝負を決めるのは気持ちの要素が大半です。後輩のみなさんは、自分なりの考えを持ち、自信をつけて入試に全力を注いでください!楽しく学べる環境をつくってくださった先生方、ありがとうございました!
いつ、何が起こるかわからない。息子はテレビ「福岡くん。」を観て、久留米附設中学に憧れました。受験はお金がかかる!!ドラマでよくあるお母さんが大変!というイメージしかない!!4年生の夏休み、家族に向けて受験と通塾のプレゼンをしてくれました。親が大変なイメージしかなかったけれど、本人がそんなに真剣にやりたいなら、本人次第だから。彼の想いを受け入れ応援することにしました。この度、本人が望んだ学校を含め、受けたい学校、今しかできない貴重な体験を、1校を除き合格というかたちでいただきました。ポテンシャルがあるとは言われていましたが、成績はガタガタで、思春期の様子も見られ本人も葛藤しながら、取り組んでいたのかもしれません。本当のことは、本人にしか分かりませんが、受験に向かって歩いた道が、過ごした小学校生活が、塾での経験が、楽しめていたらいいなぁと思ったりします。灘中学に落ちたのもいい経験でした。全ては思い通りにいかない経験。メンタルの強化になったらいいなぁと思いました。たまたま私が蒙古襲来絵詞を見に行った話しをしていたら試験に出たことも、面白エピソードです。いつ何が起こるかわからないから知識はあるに越したことはないと、息子からも教わる日が来るとは思いもしませんでした。世の中には様々な人がいて、色んな考え方がありますが、受験の問題には、必ず正解があります。正解があるから、興味を探究して知識を得ることにつながっているのかもしれません。この得た知識を、人の数ほど正解のある広い世界へ出て行った先で、閃き活かしてもらえることを親として願っています。塾の先生方には、合格という、目に見える結果で子供たちが願う幸せのかたちのためにご指導してくださっていらっしゃいます。つい結果ばかりを見てしまいがちですが、受験に携わったことが既にその先のステップへのステップなのだと感じました。お金もかかりますし、本人のやる気次第なので、中学受験は敷居は高いかもしれないけれど、それに向かって継続した親も子供もすごいと思いますし、先生方の熱意あるご指導の継続が、諦めないご指導が、子供たちのいつかの何かのヒントになるのではないかと改めて思いました。合格の結果に対してではなく、息子をはじめ子供たちに少しでも携わってくださっている全教研の皆様の存在に感謝しております。また、一緒に勉強してくれた姪浜教室のクラスの仲間、先輩後輩、彼の周りにいる人全員に生かされている。これからの未来、何が起こるか分からないからこそ、ここでの経験や学びも振り返りながら、時には休憩しながら、視野を広げていこう!全ては、いつかの何かにつながる可能性があるから。2024年度の中学受験を立場関係なく経験されたみなさん!とりあえず、お疲れ様でした!
小学三年の冬、突然「中学受験がしたいから塾に通いたい」と言い出した息子。その時から志望校は決まっていました。他の学校を薦めてもそこしか行かないと頑なに言うので、私たちはその想いを応援することにしました。ただ、自分で言い出したことだから、最後まで頑張ることだけを約束させました。毎月のテストを目標に勉強していくと、みるみる成績が上がり、勉強が楽しくなったようです。塾に行くと同じ目標に向かって頑張る仲間や先生方に会えるのが嬉しくて、「塾だけは絶対休みたくない」と言っていました。もともと算数は得意でしたが、算数に頼っていては失敗したときに大きなダメージが出るので、苦手強化を無くすという目標を一緒に作りました。六年生の夏休みからは、毎日全教科を勉強することにしました。夏休みは夏期講習もあるのでなかなか時間が作れませんでしたが、朝六時に起きて勉強し、夏期講習に行って帰宅後に残りの教科を勉強していました。それでも毎日九時半には寝るようにしました。受験前の一か月はひたすら過去問を解きましたが、それまでは塾で使っていたテキストを何度も繰り返し勉強していました。十一月頃から、「ゲームは受験が終わるまでやらない」と自分からゲームを封印しました。勉強ばかりだとストレスも溜まるだろうと、塾が休みのときは、通っていたサッカーもできるだけ行かせました。受験直前は体調を崩すこともありましたが、この数日寝込んだからって今までの努力が無駄になることは決してないと言い聞かせ、本番を迎えました。合格の文字を見たときには、この三年間一度もぶれること無く、真っ直ぐ一つの目標に突き進んだ息子に、心から「おめでとう」の言葉が出てきました。同じ受験という目標を持って共に頑張ったかけがえのない仲間と、親身に寄り添って指導してくださった先生方に出会えたこと、全教研に入塾して本当に良かったと思います。最後まで息子を信じ、御尽力下さった先生方、本当にありがとうございました。
志望校ってどうやって決めるの?人見知りの娘が電車で塾まで行けるだろうか……。沢山の?と心配で始まった塾生活でした。最初は何となく取り組んでいた娘でしたが、先生方の明確な指導と多彩でユニークな授業、周りで頑張るお友達のおかげで、気付けば、自分で将来の目標を決め、夢に近づくために受験したいと強い意志をもって示すようになりました。子離れできていない私は心配だらけで、娘に受験は早すぎたのではないかと何度も壁にぶつかりましたが、それとは裏腹に娘は電車で居眠りする余裕さえ持ち、どんどんたくましくなりました。志望校を一度も変えることなく、弱音も吐かず、ひたすらマイペースに頑張り続けました。受験前には思った点数が取れず、焦った様子でしたが、私たち親はここに至るまでの強くたくましくなった娘の成長をとても誇らしく感じていたので、常に穏やかな気持ちで応援することができました。不安と戦いながらも最後までコツコツやりきった娘は大きな自信を持つことができ、受験当日も「行ってくるね」と一度も振り返らず校舎に入っていきました。その後姿を見て、強くなったなと胸が熱くなりました。そして合格通知を手にした娘の晴れ晴れとした達成感に満ちた表情は忘れることが出来ません。合格するための受験生活と考えていましたが、終えてみると、将来の目標を叶えるための日々の努力や葛藤、周りの人への感謝の気持ちなど、娘は沢山の大きなものを得られたと実感しています。家族で一つの目標を共有できたのも受験の醍醐味であったと思います。全教研を初めて訪れた日から強制することなく、的確に温かく、娘だけでなく親の私たちにもアドバイスや優しい言葉をかけてくださった先生方にも感謝の気持ちでいっぱいです。中学校でも目標に向かって、娘らしく前進してくれるよう応援を続けたいと思います。
2つ年上の姉を追いかけるように再び全教研原田教室の門を叩き、姉の時から指導していただいた先生方に安心してお任せしていた1年間を今しみじみと振り返っています。入塾当時から姉と同じ筑紫丘高校に通いたいと言っていたものの、正直、道のりは険しいかな・・・と思うような成績でした。模試の点数も不安定で、志望校を変えるという選択が何度も私の頭をよぎりましたが、「大丈夫ですよ、このまま頑張りましょう!」と、塾長が背中を押してくださったおかげで、本人の目標が揺らぐことなく合格まで走り続けることができました。秋のオンライン特訓では、苦手な国語を徹底的に鍛えていただいたおかげで偏差値も上がり、本人の苦手意識も解消されました。姉も同じく国語を苦手としていたのですが、姉の時は国語の特訓よりも得意科目のブラッシュアップを軸に指導していただき、姉弟それぞれに最適なアプローチで指導してくださっていることを実感しました。模試の結果に一喜一憂しつつも本人は1年を通してポジティブに受験勉強を続けることができました。悪い結果のときも「でも先生は大丈夫って言ってくれたよ。」と本人は案外ケロリと立ち直っており、先生方の前向きなお声掛けが自信となり入試本番も落ち着いて臨むことができたようです。生徒に寄り添いその可能性を信じて伸ばす先生方の熱心なご指導のおかげで最高の春を迎えることができました。心より感謝申し上げます。